後漢書
『後漢書』(ごかんじょ)は、中国後漢朝について書かれた歴史書。二十四史の一つ。本紀十巻、列伝八十巻、志三十巻の全百二十巻からなる紀伝体。成立は5世紀南北朝時代の南朝宋の時代で編者は范曄(はんよう、398年 - 446年)。
日本の歴史についてもちょこっと書かれているそうです。
成立までの経緯
范曄は字は蔚宗と言い、幼い頃から学問に長じ、経書に通じて文章・音楽を良くしたという。宋の創始者・劉裕に仕えて尚書吏部郎となったが、左遷されて宣城太守になり、この頃に『後漢書』を選した。元嘉九年(432年)の事である。しかしこの時点ではまだ志が書かれておらず、未完成であった。そして范曄は書き終えないまま劉義康擁立事件に関ったことで処刑された。後に南朝梁の劉昭が未完成『後漢書』に東晋の司馬彪が書いた『続漢書』の志を合刻した。現在伝わるのは後述の李賢注に『続漢書』の志を合刻した北宋代の版本が元である。
『後漢書』の成立は既述の通り、432年と後漢滅亡から200年以上が経ってからのことであり、年代的には後のことを記述している『三国志』の方が先に成立していた。その200年余りの間に後漢についての歴史書を数多くの史家が著している。後漢がまだ存続していた時から書かれた同時代史書である『東觀漢記』、東晋の袁宏の手による『後漢紀』など。その他にも数多くの史書が存在していて、これを八家後漢書(あるいは七家)と呼んでいる。
『後漢書』(呉の謝承)
『後漢書』(呉の薛瑩)
『後漢書』(呉の華?、『漢後書』とも)
『続漢書』(東晋の司馬彪)
『後漢書』(東晋の謝沈)
『後漢書』(東晋の袁山松 )
『後漢書』(著者不明)
『漢紀』(東晋の張?)
范曄は『東觀漢記』・『後漢紀』をベースにこれらの書物あるいは『三国志』を参照しながら、『後漢書』を著した。がしかし八家後漢書はほとんど現存しておらず、『七家後漢書』などのこれらの書物から引用した書物から集めた一部分のみ見ることが出来る(『東觀漢記』は『永楽大典』からの輯本(引用された文章を集める事で散逸した書物を復活させること)があり、『後漢紀』はほぼ完全な形で現存している)。
注釈
『後漢書』に最初に注釈を付けたのが既述の劉昭の手による『集注後漢』であるが、本紀・列伝部分の注釈は散逸し、志に付けた注釈部分が現存している。
そして本紀・列伝に付けられた注釈として最も有名なものが唐の章懐太子李賢の手によるものである。李賢は高宗・武則天夫婦の六子として生まれ、兄の李弘が皇太子の座を廃されてから皇太子に立てられながら、後に実の母親に殺害されたといわれる人物である。この李賢注は文の解釈と共に足りない事実の補填をその他の書物から取って非常に高い評価があり、その他の『後漢書』に対して范曄の『後漢書』が存続したのも李賢注があるからだと言う評もある。
その他の『後漢書』の注釈としては清の恵棟の『後漢書補注』、同じく清の王先謙の『後漢書集解』がある。
なお、現在岩波書店と汲古書院が日本語訳版を刊行中である(岩波版には范曄の著ではない「志」は除かれている)。
評価
二十四史の中でも『後漢書』に先んじて撰された『史記』・『漢書』・『三国志』はいずれも非常に高い評価がある。『後漢書』は『史記』・『漢書』を手本として二者には及ばないが、かなりの高い評価を得ており、『史記』・『漢書』と併せて三史、あるいは『三国志』を加えて四史と呼ばれている。また八家後漢書がいずれも散逸し、范曄の『後漢書』のみが残ったと言う事実が范曄『後漢書』に対する評価を表しているともいえる。
ただしその記述には著者の范曄の意思が組み込まれており、その点で曲筆とまでは行かないが、事実にフィルターがかかっている。
倭国について
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の中に倭(後の日本)についての記述があり、古代日本の史料になっている。この「倭条」は成立は280年代とされる『三国志』の「魏書」東夷伝倭人条(いわゆる「魏志倭人伝」)を基にしていると考えられており、多くの部分で共通するが、違いもあるのでこの説に反対する人もいる。
「魏志倭人伝」に無い記述として「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人」永初元年(107年)に倭国王帥升(または師升等)が生口(奴婢)百六十人を献上したとある。これが史料に出てくる初めての日本人(倭人)と言うことになるが、これに関する記述は一文のみで詳しいことはよく分かっていない。また「魏志倭人伝」に年代の指定がない倭国大乱についても桓帝・霊帝の間(146年 - 189年)と非常に大まかではあるが年代の指定がされている。
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