若き時は、はかなくて過ぎ、今老て死なざれば、盗人とする、ひじりの御戒め、逃れ難けれど、今年既に八そじにいたりて、罪を加へざる年にもなりぬれば、かかる不要なるよしなしごと云い出せる罪をも、願はくば、世の人これを許し給へ。
若いときは、あっという間に過ぎて、いろいろやってきたけど、
80近くなって、このままじゃあかんだろう、と思い、
なんか、いいことをして、これ以上生きていても、世の中の人に迷惑がかかるばっかりなので、
もしかしたら迷惑におもわれるかもしれませんが、みなさん、書くことを許していただけるとありがたいです。
年の積りに、世の中のありさま、多く見聞きして、とかく思ひ知りゆくにつけて、考へ見るに、凡そ人は、善き事も悪しき事も、いざ知らざる幼なき時より、習ひ馴れぬれば、まづ入し事、内に主として、既に其性となりては、後に又、善き事、悪しき事を見聞きしても、移り難ければ、幼なき時より、早く善き人に近づけ、善き道を、教ゆべき事にこそあれ。
年齢を重ねて、世の中のいろいろなことをたくさん見聞きしてきて、
いろいろ思ってみたり考えてみたんですよ。
普通の人なら、いいことにしても悪いことにしても、幼いときから習ったり、馴れたりしたことに影響を受けるようです、
そして、そういうった習慣になってしまったことは、あとから、いいことを教えたり、悪いことを教えても、そう性格や習慣はかわらないということですね。
つまり、小さいときには、いい人の元で、よい道、正しい道というのを教えるほうがいいということですな。
墨子が、白き糸の染まるを悲しみけるも、むべなるかな。
墨子が、白い糸が染まっていくのを悲しむのもしかたがないというか、もっともなことだよなぁって思います。
此ゆへに、郷里の児童の輩を、早くさとさんため、いささか、昔きける所を、つたなき筆にまかせて、しるし侍る。かかるいやしき書つくり、ひが事きこえんは、いと恥べけれど、高さにのぼるには、必ず低きよりする理あれば、もしくは、いまだ学ばさる幼稚の、小補にもなりなんか、といふ事しかり。
そんなわけで、地域の子供たちに、はやく気がついてほしいと思ったので、少しですけど、若いときに聞いたりしたことを、あれこれ思いつくまま書いてみます。
あんまりたいしたこともないでしょうし、多少カチンとくる表現もあるかもしれませんので恥ずかしいところですが、
成長するためには、こういう低い視点というか、世間では当たり前のようなことでも多少なりとも、書いておけば助けになると思います。
ちょっとしたメモというか知識として生かしていただければうれしいです。
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