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ホツマツタエ anchor.png Edit

『ホツマツタヱ(ほつまつたゑ)』は、五七調の長歌体で記された、全40アヤ(章)で構成された古文書である。その成立時期は不詳であり、少なくとも江戸時代中期まで遡ることが可能である。歴史学、日本語学等の学界においては、江戸時代に神道家によって作成された偽書であるとされている。しかしながら、文献全体の包括的な史料批判はまだ行われていない。

『ホツマツタヱ』には、複数の写本が現存している。いくつかの写本では「ホツマツタへ」「ホツマツタエ」とも、また漢訳されて「秀真伝」「秀真政伝紀」とも表記されている。『ホツマ』と略されて呼称されることもある。『ホツマツタヱ』と同様の文字による古文書である『ミカサフミ』『フトマニ』も発見されている。この3書に使われている文字はほぼ同一で、文書の中では「ヲシテ」と呼ばれている。「ヲシテ」は、過去の経緯から「ホツマ文字」「秀真文字」「伊予文字」と呼ばれたり、「オシテ」「ヲシデ」と表記される場合もある[1]。

12世紀初頭に成立した『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』などにヲシテに関する記述が認められると理解して、ホツマツタヱは少なくとも平安時代以前に遡るとし、真書であると考える熱心な信奉者も少なからずいる。江戸時代には、和仁估安聡、小笠原通当等が真書であると主張した。

近代的な文献学の手法に基づいた研究が始まったのは、ホツマツタヱが再発見された1966年以降である。諸写本の校正、『古事記』『日本書紀』と『ホツマツタヱ』の3書比較、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』の総合的検証が進められつつある(参考図書を参照のこと)。

『ホツマツタヱ』を真書であるとする研究者は、記紀よりも古い日本最古の叙事詩、歴史書であると主張している。『ホツマツタヱ』が扱っている歴史は、記紀の神代や人皇12代景行天皇(オシロワケ)までである。

ウィキペディアより

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ホツマツタエに関するいろいろな情報 anchor.png Edit

今日『ホツマツタエ』を真書であるとする立場から、多数の書籍や記事が発行されるに至っている。しかしながら、現代語訳は試行されているものの、信頼にたる現代語全訳はまだ確立していない。また、多くの書籍や記事は、

客観的な立場で記述されていない

根拠となる資料の吟味が十分でない、信頼性の低い資料に基づいている

根拠となる資料の組み合わせに無理がある、論理の飛躍がある

根拠となる資料を示さず検証できない

方法論が明確でないまたは検証が十分でないまたは検証不可能な方法論である

等の問題を抱えている(参照:疑似科学)。この為、真書であるとする立場においても、『ホツマツタエ』に対しては様々な解釈や主張がある。

これらのことから、この項目では、Wikipediaは百科事典であり独自の意見を発表する場ではないとの趣旨(参照:Wikipedia:独自の調査)に基づき、また『ホツマツタエ』を偽書とみなす人にとっても納得可能な、『ホツマツタエ』について第3者が検証可能な事柄についてのみ記述する。この経緯については、ノートを参照[2]。

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神代文字捏造ブームと偽書疑惑 anchor.png Edit

江戸時代に、神代文字捏造ブームが巻き起こり、多くの古史古伝が偽造されたことがあるため、ヲシテ(ホツマ文字)にも疑問の目が向けられている。以下に述べる文献学的な検証、及び、歴史学における常識的な認識と内容が乖離している点が多いことから、学会においては偽書であるという認識が定着している。

古筆研究者の小松茂美によると、捏造された文字であるとする根拠は次の4つである。

鎌倉時代までの古文献では、漢字の伝来以前に、わが国に文字がなかったと記されている[3]。

上代特殊仮名遣におけるかな文字の区別が見られないということ。すなわち、母音の差異に基づく甲・乙両種の音の区別が消えるのは、10世紀の半ばであると考えられる。仮に神代文字が存在していたものとすれば、これら甲・乙両種の音を表す文字が当然なければならない。

神代文字は47文字または50文字で成り立つと言われているが、その数の基礎は「いろは歌」と「五十音図」に求められる。ところが「いろは歌」は9世紀はじめにつくられ、「五十音図」もその最古の例は11世紀はじめであり、年代が合わない。

字形を提示しての神代文字は、すべて江戸時代以降に成る。それも、有力なものは表音文字が音節文字で字母表としてのみ掲示され、ことばを表記した痕跡はない。

ホツマツタエは、第二次世界大戦前から清原貞雄ら日本史学者によって、後世になって捏造されたホツマ文字(ヲシテ)によって記されている偽書であると指摘されてきた。近年の日本史学の分野では武光誠、日本語学の分野では飯間浩明らによって、近世以降に神道関係者の手で書かれたものと指摘されている。既存の学会では、内容に関して貴重な伝承が含まれている可能性を否定するものではないにせよ、厳密な史料批判に耐えられないとして、後世の偽書とみなす意見が出されている。

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ホツマツタエ』の再発見 anchor.png Edit

この古文書は、1966年(昭和41年)に自由国民社の編集者であった松本善之助が東京、神田の古書店で写本を偶然発見したことから世に知られることになった。松本はそれまで翻訳事業に深く携わっていたが、『ホツマツタエ』との出会い以来、写本の発見とその校正、読解に心血を注ぎ、『古事記』・『日本書紀』との三書対照を踏まえて、『ホツマツタエ』こそが、記紀の原典であると確信するに至った。

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ホツマツタエ』の概要 anchor.png Edit

ホツマツタエ(ほつまつたゑ)」は、五七調の長歌体で記された、全40アヤ(章)で構成された古文書である。その成立時期は不詳であり、少なくとも江戸時代中期までさかのぼることが可能である。

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ホツマツタエ』の意味 anchor.png Edit

ホツマツタエ』の中の記述によると、『ホツマ』は東国(おおよそ今の関東平野のエリア)を指した用語であったが、東国における優れた治世を讃称する用語へと変化した。『ホツマ』の意味は、『ホ』は秀でたこと、『ツ』は強調、『マ』はマコトの意で、3つ繋ぐと「ひいでたまこと」「まことの中のまこと」という意味となる。カミヨ(祖先の時代の意味)に東にあった理想の国に対する憧れの気持が込められた言葉だったと考えられている。『ツタヱ』は「伝え・言い伝え」であり、『ホツマツタエ』は、「まことの中のまことの言い伝え」の意味である。「正式の伝記・正式の歴史書・正史」という意味であろう。江戸時代には漢訳されて「秀真伝」「秀真政伝紀」などと表記されたこともある。

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ホツマツタエ』の文字と類似文献 anchor.png Edit

ホツマツタエ』を表記している文字は、文中の記述によれば『ヲシテ』(ホツマ文字)と呼ばれていた。ヲシテ(ホツマ文字)は1音1字の文字である。母音要素と子音要素の組み合わせで成り立っている。48文字の基本文字があり、変体文字を含めると197文字が確認されている。ヲシテ(ホツマ文字)は天地の成り立ちを象徴すると記述されている。ヲシテに、教える手段という意味を読み取り、ノリ(法)を書き記すための公文書用の文字として作られた可能性を指摘する人もいる。同時代のヲシテ(ホツマ文字)で書かれた文献には、伊勢神宮初代の神臣クシナズオオカシマ命が記した『ミカサフミ』、アマテルカミ(記紀にいう、天照大神)が編纂して占いに用いたと伝えられている『フトマニ』などが発見されている。

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ホツマツタエ』の内容 anchor.png Edit

ホツマツタエ』は、天地開闢にはじまり、日本国の建国から人皇12代のオシロワケ(景行天皇)57年に至るまでが、ほぼ記紀と同様の構成で叙述されている。

記紀よりも内容に整合性があり、天上でのできごとであるとされている神代の事柄が地上での実在の人物によるできごととして記述されていることなどから、記紀の原典ではないかと、比較研究を進めている研究も存在する。

ホツマツタエ』を真書であるとする研究者は、記紀よりも古い日本最古の叙事詩、歴史書であると主張している。 『ホツマツタエ』を真書とするならば、天照大神を始めとする記紀神話の神々は実在した人物だったことになり、神格化される前に人として生きた姿を最も正確に知ることができることになる。

ホツマツタエ』には、歴史だけでなく、宇宙の成り立ちと構造、宇宙と人間の関係、生死の意味、女男の分離、その役割と宇宙の関係、人間が食べる物の意味と望ましい食事方法、人と社会、技術との関係、国家の成立、国家の本質、アマキミ(天皇)の発祥、国家の統治の法、三種神器の発祥とその意味、家族の意味、子供の意味、望ましい教育方法、人間の不幸の原因、社会の乱れの原因、犯罪の原因と対処方法、刑罰の意味、皇室の起源と社会的役割、哲学的意味、いくつかのヤマト言葉の語源などもまた記されている。『ホツマツタエ』には、記紀に記さていない、当時の出来事や人物の活動が、高い整合性を持って詰め込まれており、天皇のイミナ(真名、実名、お名前)なども知ることが出来る。真書であれば貴重な史料ということになる。

真書であるとする研究者は、日本の正史を再確認できるだけでなく、日本が当初から立憲君主国であったこと、神道の教義や日本の建国の理念、皇室の発祥が明確になり、各地の地名のいわれや、古い神社の祭神を正確に知ることができ、また漢字や漢文の影響をうけない大和民族固有の哲学を知るよすがとなる可能性があると主張している。

漢字で記された記紀の編纂は、渡来人の指導の下で行われたことが判明している。真書であるとする研究者は、記紀の編纂を指揮する渡来人に対して、ヲシテ(ホツマ文字)で書かれた『ホツマツタエ』の内容が分かるように漢文に仮翻訳した編纂用の資料が作成され、それをもとに記紀を編纂したのではないかと推測するものもいる。

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ホツマツタエ』の成立と継承 anchor.png Edit

ホツマツタエ』は、前編28アヤを、カンヤマト イワハレヒコ(記紀にいう神武天皇)の命によってオオモノヌシクシミカタマノミコト(同じく大物主櫛甕玉命)が編纂し、後編12アヤは、オシロワケ(同じく景行天皇)の世にオオタタネコ(同じく太田田根子)がヤマトタケ(同じく日本武尊)の鎮魂のためにヲシテ(ホツマ文字)で編纂し、同天皇に捧げた旨の記述がある。

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写本発見までの経緯と公開されている写本 anchor.png Edit

どのような経路を辿ったか不明である。大物主櫛甕玉命78世の子孫に当たる、和仁估(三輪)容聡(ワニコ・ヤストシ)は、徳川時代の安永年間(1772年 - 1780年)まで家宝として所蔵していた。和仁估家に後嗣がなかったので、近江国三尾神社に奉納したという。

1874年に、小笠原通當の甥の小笠原長弘は、『ホツマツタエ』を筆写して宮中に捧げることを試みたこともある。この写本は別名「奉呈本」と呼ばれている。

1966年8月のある日、松本善之助は東京神田の古本屋に行き、そこで、『秀真伝(ホツマツタエ)』の写本と明治初めの国学者落合直澄(1840 - 1891)が書いた解説書を手にしている。このときは、『ホツマツタエ』全40アヤのうち、3アヤしか発見できなかった。しかし、古書探索に必要な手がかりを得たことで各地をあたり、後日、四国の宇和島にある小笠原長種宅にて、全40アヤが発見された。これは『覆刻版ホツマツタへ』として1971年6月に出版されて世に出た。また、内閣文庫に完写本(「内閣本」と呼ばれる)が所蔵されていることも判明した。

1992年5月、『ホツマツタエ』の別系統の写本である「容聡本」が発見された。滋賀県にある日吉神社の御輿庫の棚の奥に、3cmほどほこりが積った桐細工の箱が三つあり、ほこりを払うと秀真の文字が現われた。長弘本と異なり、ヲシテ(ホツマ文字)に漢字の訳が添えられた構成になっていた。この発見によって、1874年に時の政府へ奉呈を試みたとされる長弘本は、容聡本を基にしてヲシテ(ホツマ文字)のみで書かれた漢訳の付いていない写本、という位置づけになることが判明した。容聡本を含む公開された全ての写本を校正し、記紀との比較対照を可能とした完本は『定本 ホツマツタエ』として出版されている。

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和仁估容聡と小笠原通當について anchor.png Edit

季刊『邪馬台国』1993年秋号52号梓書院所収、「偽書」銘々伝(藤野七歩)による和仁估容聡と小笠原通當。

和仁估容聡は『秀眞政傳紀』(40紋 安永4年(1775年)頃?)を書き、自序に「大物主櫛甕玉命七拾八世之頴孫和仁估容聡」と書いた。『高島郡誌』(大正15年)では、容聡は修験者として安曇村田中横井川または三尾川(現滋賀県高島郡安曇川)に住みつき、本名は井保勇之進で、子孫は安曇村西万木にあるとしている。また、山伏和仁古容聡が安永年間に滋賀県高島郡安曇川近辺の神社の本土記を書いたという。なお容聡の先祖に大鶴軒孝阿(伊保坊23代で進藤孝尚の息子『万木森薬師如来縁起』による)がいるとされる。

安永8年(1779年)、『春日山紀』(溥泉)に『秀眞政傳紀』が引用された。

寛政5年(1793年)、『和字考』(園城寺住職の敬光)に『秀眞政傳紀』が引用された。

天保元年(1830年)、近江高島郡藤田家において京都天道宮神主・小笠原通當(みちまさ 吉田神道)によって『秀眞政傳紀』が発見された(『秀眞政傳紀傳來由緒書』野々立蔵明治22年による)。

嘉永4年(1851年)、『神代巻秀眞政傳』(10巻 小笠原通當が天保14年(1843年)に書く)が出版された。

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完本として公開されている写本 anchor.png Edit

和仁估安聡本(やすとし本)

漢訳文付本

写本自序;安永4年・1775

1992年発見

『和仁估安聡本ホツマツタエ』(わにこやすとしほん ほつまつたえ)として印影版が市販された。

現在につたわり公開されている写本すべての親本。21アヤがカタカナ表記。28−41(4行)カタカナ表記。

小笠原長弘本(ながひろ本)

写本時代、明治33年頃/1900頃

1967年発見

『覆刻版ホツマツタへ』として市販された。

抜け行の多い写本。特殊ヲシテ表記が少ない。古い濁音表記が少ない。数詞ヲシテ(数詞ハネ)の表記が少ない。13アヤで8行、16アヤで8行の抜け個所あり。

小笠原長武本(ながたけ本)

写本時代、明治期;1868〜1921

数詞ヲシテの表記が多い。13アヤで8行の抜け個所あり。

内閣文庫所蔵本(小笠原長武写本)

国立公文書館、所蔵

写本時代、明治期;1868〜1921

国立公文書館で閲覧できる。

小笠原長武本と同等。数詞ヲシテの表記が多い。13アヤで8行の抜け個所あり。

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写本が近世まで秘匿された理由の推測 anchor.png Edit

一般に、『日本書紀』編纂者の意図は、中国(唐)に対する外交政策を有利にするために、日本にも皇帝に匹敵する天皇がおり、正史を漢字で記すだけの文明があると証明する必要があると考えて、漢字で記された歴史書を作ったという見方が定着している。

中国の皇帝は、天帝思想であり、天から使命を得て帝位についている。ホツマツタエの研究者である池田満は、ホツマツタエの中で当時カミヨ(上代/神代)と呼ばれた歴史について、記紀の編纂にあたり、地上でのできごとではなく天上でのできごとであることにし、日本の天皇も皇帝と同じく天帝であると潤色したのではないかと推定している。ホツマツタエのカミヨ(上代/神代)の記述の内、アマカミ(古代の天皇の名称)の記述以外、臣下であるトミ・オミ(臣)の記述は全く記紀に訳出されていないからである。朝廷は、当時の国字であったヲシテを捨て、漢字を国字に、漢文を公文書の公用語として採用した。そして記紀が成立し、日本書紀が正史とされ、漢字・漢文により表現する時代が長くなると、ヲシテを振り返るものもなくなり、いつしか秘伝の書とされるに至ったのではないかと推測している。

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